ビル・エヴァンスとクラシック音楽

ビル・エヴァンス、管理人が最も敬愛するピアニストの一人ですが、彼が生前演奏していた音楽は「JAZZ」というカテゴリー。ただ、私は彼の音楽はジャズとかクラシックとかジャンルに入れられない彼独自の音楽だと思っています。もちろん形態としてはジャズの範疇に入ると思いますが、彼のバックボーンにあるものとして重要なファクターを占めるのがやはりクラシック音楽なのです。このサイトでビル・エヴァンスのプロフィールと簡単な音楽紹介の個別ページがあります。そこでビルの音楽の背景にはクラシック音楽があると簡単に書いていますが、今回はビルとクラシック音楽の関係をもう少し詳しく掘り下げてみたいと思います。

この記事を書くにあたって、事実としての出来事やエピソードについては、コンサートピアニストで教育者でもあったピーター・ペッティンガーという人の書いた「ビル・エヴァンス ジャズピアニストの肖像」という本と音楽学者の石田一志さんのエッセイから引用させていただきました。

ビルが学生の頃はクラシックピアノを学んでいたというのは、広く知られていることですが、学生時代学んだものはバッハの平均律からモーツァルト、ベートーベンのソナタ、シューマン、ブラームス、ショパン、ラヴェル、ドビュッシー、ラフマニノフ、とここまではどこの音楽大学の学生も学ぶ作曲家ですが、この他に、ガーシュイン、ヴィラ=ロボス、ダリウス・ミヨーというちょっと個性的な作曲家の作品も学んでいます。その腕前ですが、名誉学生としてベートーベンの3番のコンチェルトを演奏したりしたので、20歳そこそこの学生としては相当の腕前だったようで、学長からも各音楽関係者宛に推薦状がいくつも送られています。こんなビルですが、自身でも迷った挙句クラシックの道には進まずにジャズの道に進みます。ビルがなぜジャズの道に進んだかということについてはいろいろな理由が考えられますが、ビル自身、クラシック音楽では失われた即興音楽の芸術性を追求したものがジャズという考えを持っていたようです。確かにモーツァルトやショパンは即興演奏の名手でした。有名なショパンの肖像画を描いたドラクロワなどが集まったサロンではショパンは殆どピアノで即興演奏をしていたと伝えられています。書かれた音楽であるシリアスミュージュックとしてのクラシックの楽曲には、ここの音はこう弾くだの解釈と演奏という美的な追求はできても、革新的な新しい音楽は生まれないと思っていたのかもしれません。なので対極にある即興という要素が最大の特徴であるジャズに向かったのだということが大きな原因でもあるのです。余談ですが、クラシックのピアノ協奏曲などに付帯しているカデンツァというものがあります。その昔は演奏者が即興で弾いていた部分なんですが、今は完全に楽譜に書かれています。

こんなビルがジャズ・ピアニストとして台頭してきた1950年代中頃、ビルのピアニストとしての才能をいち早く見抜いていたチャールス・ミンガス(※なかなか面白い実験的なジャズを作った黒人ベーシストですが、白人には偏見があったようです。)が、ビルの演奏を聴いて「あのピアノはジャズじゃない」と言ったのは有名な話です。当時ビルが活躍していたイーストコーストでは、ジャズは黒人ミュージュシャンが多数を占めていて、ビルのような白人ミュージュシャンは逆人種差別にあっていたようです。ただマイルス・デイビスのように常に革新的な音楽を追求していたミュージュシャンはビルのこのクラシック的な素養に目を付けました。そして自分のバンドにビルを呼び「Kind Of Blue」というモード手法という新しい試みをした傑作アルバムを作るのです。この話は今回の記事の内容とは違うので省略しますが、マイルスというのは確かに才能のある人物を見抜く慧眼を持っていた人で、マイルスのバンドに在籍していたピアニストの殆どが後に皆超一流のピアニストになっています。ビル・エヴァンス、チック・コリア、キース・ジャレット、ハービー・ハンコックとすごい面々です。

話が少し横道にそれましたが、ビルが台頭してきた頃のビ・バップ系のジャズピアニストの奏法と云えば、手首による単音の打鍵とノンペダルが主流。そこにビルは美しい和音と絶妙なペダルワークを入れたピアノを弾いたわけなので当時の黒人ジャズメンからは異端の目で見られたのは仕方のないことだったのかもしれません。

ここでビルがジャズに進んでからもどの程度クラシック音楽と関わっていたのかということについて書いてみます。ジャズをやるようになってニューヨークに出てきたビルが当時借りていた小さなアパートの部屋の居間には大きなグランドピアノが置いてあり、その楽譜立てには、常にショパン、ラヴェル、スクリャービンとバッハの平均律が置かれていたといいます。またこの時ダウンタウンにあるマナーズ音楽大学で3学期間作曲を学び、12音音楽も学んだとされています。ここで重要なのはスクリャービンの音楽を随分と勉強したらしいのです。スクリャービンといえば、その神秘的な和音と冷たい中の官能的な響きのある曲を書いた面白い作曲家ですが、エバンスの1978年に発表されたニュー・カンバセイションズ、邦題「未知との対話」というアルバムの中の「ソング・フォー・ヘレン」という曲では、かなりスクリャービン的な響きと複雑な和声構造の曲となっています。12音技法を取り入れた曲としては1971年のT.T.T(12音旋律)と最初の東京公演で発表されたT.T.T.T(12音旋律第2番)も身に付けたクラシック語法を再現した曲だといえます。T.T.T.Tは12音技法とリディアンモードを組み合わせた中々興味深い曲で、リディアンモードはジョージ・ラッセルというこれまた革新的な音楽を追及した作曲家であり理論家の元でサイドメンを勤めたことのあるビルが、ラッセルの「音組織のリディアン旋法に基づく半音階的技法」という理論に影響されたということがよくわかります。因みにこのラッセルの理論は武満徹氏が高く評価していたそうです。石田一志さん曰く、武満徹氏はこれの影響により調性回帰したのだとも云っています。

この頃のビルのピアニストとしての技量がどんなにすごかったかというエピソードを紹介します。1950年代当時ジャズでは黒人パワーが全盛でしたが、もう一方の流れとして、ジャズの芸術性を求める動きもかなりありました。特にガンサー・シュラーという人の提唱した現代音楽とジャズの出会いによる「サード・ストリーム・ミュージック」にはジャズ界からはジョージ・ラッセル、チャールズ・ミンガス、ジミー・ジェフリーなどが参加し、クラシック界からはガンサー・シュラー、ミルトン・バビット、ハロルド・シャピロが参加し、この6人の作曲家の提供する作品を演奏するという演奏会が開かれましたが、それぞれにスタイルが違う上、バビットに至ってはその読譜と演奏の難しさは有名でクラシックのコンサートピアニストも敬遠する作曲家でした。で、ここでビルに白羽の矢が立てられます。実際の演奏会ではビルはこの6人の難解な曲を難なく弾きこなしたといいます。まさにピアニストとしては面目躍如というところでしょうか。またこのミルトン・バビットと言う人の曲はもちろん私も聴いたことはありませんが、リズムがものすごく複雑で演奏してくれる人がいなくてシンセサイザーで演奏されるようになってしまったのです。ビルのリズム感というのは異様なくらい素晴らしく、よく、ビルのピアノはスイング感がない・・・とか言う人がいますが、これはあまりにリズムキープが正確なのでそのように聴こえてしまうのです。個性的なギタリストのジム・ホールとのコラボアルバム「アンダーカレント」の最初の曲「My Funny Valentine」ではリズムテンションともいえるような独特の変化のあるリズムで演奏しています。今だかつて、素晴らしくもこの曲のこんな変わった演奏は聴いたことがありません。

このようにピアニストとしての技術も人並みはずれてすごかったビルが1970年代はじめに、ジャズの将来について述べたコメントがあります。

「技術は今よりもっと複雑になる。作曲家にとっては、技術に精通しながらも自分の直感的なアプローチを維持することは挑戦となるだろう。即興者によっては、これらの技術を習得しながらも、ジャズの直感的でアーシーな風格を維持するというのが挑戦となるだろう」(山川京子:訳)

と言っていますが、まさに現代を代表するジャズピアニストであるチック・コリアやキース・ジャレットという人達の現在の姿を予見していた感じがありますね。ペッティンガーの本によれば、ビルは生涯クラシック音楽は手放さなかったようで、ヘロイン過から逃れる時にも毎日のようにバッハのインベンションとシンフォニアを弾いていたようですが、完全に全曲暗譜していたようです。また友人のピアニスト、ウォーレン・バーンハートとはモーツァルトとベートーベンの交響曲をピアノ連弾で弾いていたり、ラフマニノフの壮大な交響曲第2番も当時のレパートリーだったようです。

ビル・エヴァンスとクラシック音楽の関わりについてだいぶ長く書いてきましたが、いかがでしたでしょうか。最後まで読んでいただいた方には感謝いたします。スクリャービンの影響を受けたと思われる「ソング・フォー・ヘレン」の入ったNew Conversationsの動画、なぜか削除されてしまったので、同じアルバムから別の曲を貼り付けておきます。いつもながらビルのピアノは美しいですね。

【For Nenette】